初めて,広島,旅行

初めて広島へ旅行しました

初めて広島へ旅行しました

自分は九州の福岡県の出身で本州に行ったことは山口県の下関までだった。
住いが友達と福岡の福岡市なので、関門橋を渡っていく時に、その関門橋を見ても人が作った橋なので、感動した。九州道と山陽道を使って廿日市ICで降りて「嚴島神社」へ向かった。

幹線(国道2号)へ出るのが近いです。「嚴島神社」は、海を敷地とした大胆で独創的な配置構成、平安時代の寝殿造りの粋を極めた建築美で知られる日本屈指の名社です。廻廊で結ばれた朱塗りの社殿は、潮が満ちてくるとあたかも海に浮かんでいるよう。背後の弥山の緑や瀬戸の海の青とのコントラストはまるで竜宮城を思わせる美しさです。歴史的ことも勉強して、宮島の「嚴島神社」に行ったため、寺院を見ているといろいろ面白かった。調べた内容は「当社の御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)と素盞鳴尊(すさのおのみこと)が高天原(たかまのはら)で剣玉の御誓(うけい)をされた時に御出現になった神々で、御皇室の安泰や国家鎮護、また海上の守護神として古くから崇信を受けられた。

宮島に御鎮座地を探されるにあたり、この島を治める佐伯鞍職(さえきのくらもと)に神勅が下った。鞍職は大神様が高天原から連れてきた神鴉(ごからす)の先導のもと、御祭神と共に島の浦々を巡り、海水の差し引きする現在地を選んで御社殿を建てたのは、推古天皇御即位の年(593年)であると伝えられる。

その後安芸守となった平清盛(たいらのきよもり)が当社を篤く崇敬し、仁安3年(1168年)に寝殿造の様式を取り入れた御社殿に修造した。清盛の官位が上がるにつれ平家一門のみならず、承安4年(1174年)に、後白河(ごしらかわ)法皇の御幸(ごこう)、治承4年(1180)3月と9月に高倉上皇の御幸(ごこう)があるなど、多くの皇族・貴族が参詣され、都の文化がもたらされた。 当社に対する崇敬は、平家から源氏の世になっても変わることなく、又時代が移り室町時代の足利尊氏や義満、戦国時代の大内家、毛利家などからも崇拝された。」と言う内容だった。勉強していったので、「嚴島神社」を見るまでが楽しみで、実際に見たら楽しく面白かった。博物館や美術館に行く時もインターネットや本などを使って博物館や美術館に入る前(行く前)にどういうものかを調べてから、その場所へ向かうようにしている。そうすることによって、いろいろな考え方で見られるので面白い。例えば、「その建物を建てた方の気持ちになってみる。」など、の視点ができたりするので、面白さが倍増する。

国宝の「嚴島神社」を歩いて見たせいかお腹もすいてきて「ヒロシマ風お好み焼き」を初めて地元で食べた。美味しかった。ちょうど広島カープが優勝した時期で街は安売りの事をしていたので、安く美味しいものも食べられて良かった。

そのあと、「広島原爆ドーム」に行き、「戦争は二度としてはいけない。」と言う気持ちになった。

夜になり運転手には悪いが、少しお酒も飲みたくなったので広島の牡蠣をつまみに食べようという事になったが、自分は依然福岡の糸島で牡蠣を食べて当たっていたので(下痢、嘔吐、熱)、食べるのは止めた。友達は美味しそうに食べていた。自分は福岡でも食べれそうなつまみをつまんで、「運転手は美味しそうに牡蠣を食べているのでいいだろうと。」思いながら酒を飲んだ。

その広島の旅は泊まらずに日帰りした。「仕事が無ければ今度は、泊りで行きたいね。」と友達と話した。

広島は歴史もありうまいものもありで、「良いところ」と感じた旅だった。

↑ PAGE TOP